2026.10.06
阪急電車今津線というと15年ほど前に公開された映画を思い出す人も多いと思いますが、岩崎の回想は遥か昔の1960年代後半のことです。当時高校生の私は芦屋の自宅から阪急芦屋川駅まで歩き、西宮北口駅から今津線に乗り換えて阪急宝塚駅に到達し、宝塚線に乗り換えて阪急池田駅まで電車で通うというとても面倒な通学をしていました。
もっとも毎年4月は芦屋川沿いの桜が美しく、同じ中学校で1年上のM先輩とときどき一緒に阪急芦屋川駅まで歩いていました。彼は高校のバレー部のエースでとても格好がよく、阪急芦屋川駅ではセーラー服姿の女子高生から黄色い声がかかるほどでした。
阪急芦屋川から普通電車に乗り、やはり川の上にある夙川駅を経て西宮北口で今津線に乗り換えます。この頃の西宮北口はニシキタとは呼ばれていなかったようで、多分単にキタグチと言っていたように記憶しております。もちろん1960年代後半の今津線は今津から宝塚までを直通で結ぶ路線で、西宮北口では神戸線と今津線の線路が直角に交差するためにダイヤモンドクロスと呼ばれ、十字型のポイントを渡る車輪の音が独特で評判が高かったのです。
西宮北口は南東側に当時阪急ブレーブスの本拠地である西宮球場があり、ブレーブスはとても強いチームでした。もっとも人気とは平行していないよいようでしたが。このころは梶本、米田、足立などの投手陣、スペンサー、長池などの強力打線を誇り日本シリーズにもしばしば顔を見せていました。西宮球場は競輪場を兼ねていましたので、阪急沿線は西宮北口を中心として園田の園田競馬場、西宮競輪場、そして仁川の阪神競馬場と公営ギャンブル施設が整っていました。
阪急今津線は西宮北口からは六甲山系の東の端をほぼ武庫川に沿う形で走行していますが、次の門戸厄神では神戸女学院、甲東園では関西学院、小林(おばやし)では小林聖心女子学院など有名な私立の中学校や高等学校があり、生徒さんや学生さんの利用がとても多いです。もちろん宝塚にいけば宝塚音楽学校があり、グレーのジャンパースカートと赤い蝶ネクタイの生徒さんは電車の中でもとても目立っていました。
春の桜の季節では仁川から小林をへて逆瀬川に至るあいだ、桜並木が線路沿いに続いていました。当時の今津線の電車は810系などの旧型でして、もちろん冷房もなく窓も下ろしっぱなしでした。電車が桜の枝に接触したときには、その下ろした窓から桜の花がひらひらと車内に迷い込んでくるのがとても風情があったのが高校生ながら風情を感じていました。今は窓を開けない時代になったので、桜の花びらと旧型の電車が線路の継ぎ目を拾う音と相まって、とても贅沢な気分にしてくれたと、このとき感じたのは私だけでしょうか。
宝塚南口から武庫川の鉄橋を渡ると左に宝塚ファミリーランドを眺めつつ阪急宝塚駅に到着しました。ここから阪急宝塚線に乗り換えるのですがその話は次回に。
写真は西宮市のホームページから許可を得て頂いたものです。